今でも自分が死んだら葬式はしなくて良いと思っている。自分自身には必要のないことだからだ。それに折角死んだなら人間の輪から外れて自然の一部になりたいとも想っている。だから火葬ではなくそのへんの山に風葬してもらえたらどんなに嬉しいかわからない。
中学生の頃からずっと体験してみたいと想ってやまないこと、それは死んでみることだ。別に自殺をしたいわけではない。ただ単にどうなるのかを知りたいのだ。それを体験した人達には残念ながら話を聞くことも出来ないのだ。だから自ら体験するしかないと想うのはきっと自然なことだろう。
身近な人の死で思い出すのは母と旧友だろう。
母は乳癌を切除した後に肺への転移が判明し、最後には脳にまで進行してしまい誰が誰か解らない状態となり逝ってしまった。
旧友は両親の離婚で気を病み、当時流行っていた塩素ガスで自宅の玄関にて不帰の旅人となってしまった。
人は案外あっさりと死んでしまうのだ。どんなに肉体的に精神的に苦しんでいても死ぬのは一瞬なのだ。本当にあっけない。
日本においてほとんどの人は恐らく死後に火葬されるだろう。もちろん母もご多分に漏れず骨と灰になった。
臨終後に自宅に帰ってきた母はまるで寝ているような顔つきだったのを覚えている。しかしその体は驚くほどに冷たかったのだ。「人とはこんなに冷たくなるのか」と内心冷静に想った事を覚えている。
いま思い返すとあの眠っているような顔と、驚くほど冷たくなった体はエンバーミングによるものだったのだろう。見たことのない車両とそこで手を洗う二人組。家の窓から見えたあの人達の仕事だったのだろうと。「ありがとう」をここで伝えたい。
エンジェルフライト国際霊柩送還士を読了したので、これを感想文とさせていただきます。
佐々涼子さんの著書「夜明けを待つ」を読了後に本屋に足を運んだら文庫本で見付けたので速購入。また見付けたら手に取ろうと思います。